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Ⅰ.精神医学の再医学化がもたらしたもの
1950年,60年代,アメリカでわが世の春を謳歌した精神分析は,このところ経済的理由からその地盤沈下は否めない事実のようである。Marcus, S. 23)(1984)は,アメリカにおいて精神分析は,ただ精神医学の領域ばかりでなく,積極的で,知識的そして文化的生活の中心にちかいところにあった。ところが今や様がわりしてしまったと述べている。それは,アメリカ社会の経済的地盤の低下や価値観の変容と大きく関係することであるが,同時に,精神医学が生物学的精神医学や神経科学を取り入れた再医学化の発達とも深く関連することであろう。20年ほど前に荒れ狂った反精神医学運動は精神医学者たちに,強い不安を起こした。より実証的で客観的なものを求める機運がたかまったのである。そこに,神経化学や精神薬理学など関連科学のかがやかしい発達が相ついでそれをとり入れて医学の領域で精神医学を再構築しようとする運動がたかまった。ネオ・クレペリアンなどという言葉が親しみを持って使われるようになったのである。向精神薬や行動療法は症状をいちじるしく軽減する場合のあることも明らかにされた。その結果,治療費が高価でしかも長期間を要する精神分析の需要が減少したのであろう。その上,国民総医療費の高騰を抑制するために,専門医を減少させ家庭医を増加させようとした政策が効を奏して,新卒の10数%が精神科医になっていたのが一時3%にまで低下して,長期の教育と訓練を受けてまで分析家になることを志願する人が減少したことなどがアメリカにおける地盤低下の原因として考えられるのである。
しかし,こうしたアメリカにおけるいわば精神分析の逆境は分析家たちを謙虚にもしているようだし,何よりも精神分析の同一性をしっかりさせるのにかえって役立っていると思えるのである。すなわち,一部の経済的に裕福な人びとの召使としての学問ではなく,広く人類に奉仕する学問としていかに機能するかが大事に考えられるようになったのである。生物学的精神医学が今日,隆盛を誇っているとはいえ,かつて精神分析は精神分析専門医を志ざすと否とにかかわらず精神科医の基礎素養であったし,また,1960〜70年代にさかんになった社会精神医学も精神医学を支える柱なのである。こうして,精神医学の実践は生物-心理-社会的モデルですすめられているのである。以前よりもまして精神分析学者とその他の立場を異にする学者の協調がすすめられているのである。そうした,精神医学の再医学化が精神分析にもたらしたものをアメリカを例にとってみると次のような項目をあげることができよう。
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