- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
- 参考文献
I 妊娠・出産・育児期におけるトラウマインフォームドケアの必要性
妊娠・出産・子育てという新たな命を授かり育んでいく時期は,女性やその家族にとって,自身や家族の心身の健康に関心が高まる重要なタイミングである。また,生活を見直したり,新たな医療保健サービスや支援者とつながる機会を得る時期でもある。
一方で,この時期には,切迫流産や死産,妊娠高血圧,出産時の出血多量など,母子の生命の危機をともなう事態や,緊急処置を経験する可能性があり,必ずしも平坦な道のりとは限らない。さらに,出産後の育児期には,乳児の体重増加の遅れ,夜間授乳による慢性的な睡眠不足,育児に対する不安,パートナーや家族との関係性の変化,社会的孤立など,予期せぬ困難が重なることも少なくない。
これらの出来事に対して,妊産婦やそのパートナーがどのように受けとめ,意味づけていくかについては大きな個人差がある。とくに,過去にトラウマ経験がある場合や,現在もトラウマ的状況にさらされている場合には,出来事の受け止め方や支援者との関係性に大きな影響が生じる。たとえば,流産を経験した女性が次の妊娠に対して「本当に大丈夫だろうか」と強い不安を抱きながら出産までの時期を過ごすことは決して珍しくない。
ACEs(Adverse Childhood Experiences : 逆境的小児期体験)には,身体的・精神的・性的虐待,ネグレクト,親の精神疾患やアルコール・薬物依存,家庭内暴力(DV),親の離婚・別居,服役などが含まれている(Substance Abuse and Mental Health Services Administration, 2014)。こうした逆境体験が脳や神経系および免疫系の発達に及ぼす影響は長期にわたり,心身の健康だけでなく,教育的・経済的なアウトカムにも波及し,さらに次世代にも連鎖することが明らかになっている(Armfield et al., 2021)。これらのACEsは,妊娠・出産・子育てといったライフイベントにおいて再び浮かび上がることが多く,妊産婦のこころとからだの健康,家族との関係性,そして育児行動に多大な影響を及ぼす。したがって,妊産婦支援においては,ACEsを含む,妊産婦のこれまでの人生の苦労の影響を理解し,支援に活かしていく視点が不可欠である。例えば,小児期に安定した愛着を築けなかった経験を持つ女性は,自身が親となったときに,子どもとの間で愛着関係を形成することに困難を感じる場合がある。これは,他者に頼ることや,無条件に信頼されることへの安心感が育まれにくく,わが子との情緒的なつながりにも不安や恐れを抱くためである。その結果,育児に対する自信の低下,子どもの泣き声や要求への過敏な反応,無力感の増大といった困難が生じ,親子関係の形成が難しくなることがある(野坂,2019)。
トラウマに対する反応や対処の方法(coping strategy)も人それぞれである。感情表現を避ける,口数が極端に少なくなる,過度な自己責任感を抱く,常時緊張状態にある(過覚醒)といった反応が見られることがある。また,不安や恐怖,孤独感を緩和するために,喫煙・飲酒・薬物使用などの不適応的な対処行動(maladaptive coping)に頼らざるを得ない場合もある(Vilhjalmsdottir et al., 2023)。こうした行動は,母体や胎児の健康リスクをさらに高める可能性があり,早期の理解と対応が必要である。

Copyright© 2025 Kongo Shuppan All rights reserved.