私のモチベーション My Motivation
産婦人科専門医として歩み,教育を通して未来につなぐ
村田 雄二
1
1社会医療法人生長会医学教育センター長/周産期医療研究所長
pp.38-41
発行日 2016年8月1日
Published Date 2016/8/1
DOI https://doi.org/10.34449/J0055.08.02_0038-0041
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「産婦人科を専攻して新たに開けた世界」インターン制度最後の年となる1967年に産婦人科開業医の父親と同じ大阪大学医学部を卒業しました。インターン終了直前に心臓外科に進むことを決意した矢先に父親から相談を受けた当時の産婦人科教授(父親の大学時代の友人)の差し金だった講師に呼び出され,父親が悲しむから産婦人科医になることを説得されました。これまで一度も口に出したことのない父親の想いに心を打たれ,産婦人科を専攻することにしました。産婦人科教室に入局後,米国・イェール大学から帰国したばかりで,やる気に溢れる竹村晃先生のもと,まだ日本でも世界でもあまり知られていなかった超音波検査の仕事をはじめることになりました。1968年には世界に先駆けて胎児心臓の観察を行い,胎児心拍数の検出と実用化に取り組まれるなど,わが国のみならず世界的にも産婦人科超音波診断の第一人者とされる竹内久彌先生がおられた順天堂大学医学部産婦人科教室で国内留学の機会をいただきました。当時の超音波検査機器はまだ試作品であり,解像度が今と比べものにならないくらい低かったのですが,経験したことのすべてが当時は新しく,卒業後1~2年目の新米医師である私でさえも,原著論文を次々発表することができました。
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