Doctor Interview My Practice
東京大学医学部眼科学教室
本庄 恵
1
1東京大学医学部眼科学教室 准教授
pp.54-57
発行日 2021年4月30日
Published Date 2021/4/30
DOI https://doi.org/10.34449/J0024.01.61_0054-0057
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1995年4月,京都大学を卒業後,母校の眼科学教室に入局しました.実習でみた硝子体手術の鮮やかさが頭に残っていて,患者さんの役に立てるようなサージャン,できたら硝子体サージャンに,という夢をもっていました.入局直後,谷原秀信先生(現 熊本大学病院長)から「レーザーの練習になるよ」と誘われて,同級生の稲谷大先生(福井大学教授)と一緒に実験に参加しました.当時,サルのレーザー高眼圧モデル作製に取り組んでいて,そのまま免疫染色やPCRを習っているうちに,気がつくと谷原先生門下の緑内障志向の研修医になっていました.当時はラタノプロスト発売前で,高眼圧に苦慮する患者さんが多かった記憶があります.投薬で眼圧コントロール不能ならトラベクロトミーかトラベクレクトミー,複数回手術でだめなら最後は毛様体破壊術というシンプルな治療方針しかなく,目の前で失明していく患者さんも大勢いました.緑内障は治療が難しく病態も複雑で,大雑把な自分に向いているとは思えませんでした.一方で研究は楽しく,稲谷先生が進学すると聞いて,眼科医3年目に大学院へ進みました.緑内障外来には出ていましたが,院生の仕事は眼圧を測定して投薬調整をするくらいでした.自分で緑内障を専門にしようという覚悟をもつようになったのは,スタッフとして診療をするようになってからです.
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