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遺伝子解析技術の進歩は著しく,がん治療の分野においては,個人レベルで最適な治療方針を選択し,実施する医療(プレシジョン・メディシン)が注目されている。ここで言うところのプレシジョン・メディシンとは,がん遺伝子変異やヒトゲノム遺伝子の遺伝性腫瘍症候群関連遺伝子を解析し,患者個々に最適な治療を選択することを意味している。これは,次世代シーケンサー(NGS)などの遺伝子解析技術の進歩とともに,治療標的となる遺伝子に対して特異的に作用する治療薬の開発により実現が可能となってきている。これに対して感染症の抗菌化学療法におけるプレシジョン・メディシンとは,感染症とその原因菌に対して最適な抗菌薬を選択し投与することと理解される。これはまさしく抗菌薬適正使用の原則に他ならない。一方,慢性疾患であるがんとは異なり感染症の多くは急性疾患であるため,微生物の培養時間などがボトルネックとなり,多くのケースで原因微生物未同定のまま初期治療を行い,その特定後に最適治療を行うこととなる。これを打破しようと新たな検査技術が臨床現場に導入されてきている。 ひとつ目の技術は検出された微生物の同定を迅速かつ簡便に行うことのできる質量分析計である。検査機器は高額であるが検査費用は従来法に比して安価である。MALDI-TOF MS(Matrix Assisted Laser Desorption/Ionization-Time of Flight Mass Spectrometer)と呼ばれ,マトリックスの支援を借りてタンパク質を破壊せずに効率的にイオン化し,イオンの飛行時間の波形パターン(マススペクトル)で菌を同定する。リボソーム由来タンパクがおもな解析ターゲットとなるため,16S rDNA遺伝子配列解析と同様に,そのスペクトルパターンにより微生物を同定可能となる。また,この機器は一般細菌のみならず抗酸菌や真菌などにも応用可能である。従来法では同定困難であった菌も短時間で同定可能となる場合もある。薬剤感受性の判定は難しいが,菌の同定結果により薬剤感受性パターンや病原性がある程度予想可能である。 もうひとつの技術が遺伝子解析機器である。これまでも培養困難病原体(抗酸菌やクラミジアなど)や特定のウイルスの同定・定量検査に遺伝子検査は用いられてきたが,単一の微生物の検出にとどまらず,予想される病原体を一度に検出可能な遺伝子検査機器が開発されてきた。Sample to resultsという表現もされるが,たとえば呼吸器感染症ではその原因となる気道検体中の非定型病原体や数多くのウイルスなどを検出できる。消化管感染症では,腸管病原性の細菌,原虫,ウイルスを同定可能である。血液培養陽性例では,血流感染の原因となる主要な細菌,真菌を同定可能なほか,おもな薬剤耐性遺伝子も検出可能となっている。 一方で感染症の診断において,ときに解釈の妨げとなるヒトの常在菌叢(マイクロバイオーム)の研究も,特にNGSの開発普及とともに急速に進歩してきている。マイクロバイオームとさまざまな全身疾患との関連が研究報告され,創薬に結びつくケースも出てきている。がんのプレシジョン・メディシンが,がん細胞とヒトゲノム遺伝子の解析の両方からアプローチされているように,感染症診療においても,病原微生物とヒトの常在菌叢,さらにはヒトゲノム遺伝子を解析し,最適な治療を行うプレシジョン・メディシンが実施される時代が来るかもしれない。