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アメリカに留学した時の話である.1990年代後半にフィラデルフィアに移植研究のために赴いた.当時の東北大学(毛利平教授)は心臓移植実施施設申請を控えており,移植研究の充実が急務であった.私の関心は同種移植の免疫寛容(非自己を自己として認識し,拒絶反応のない状態)誘導にあったが,同じラボにムハマド・モヒウディンがいた.彼はパキスタン出身で,数年前に渡米し異種移植の研究をしていた.イスラム教徒であり,実験の合間もメッカの方向に小さな絨毯を引いて礼拝をしていた.年1回のラマダン(日中は飲食をしない戒律)も厳格に守っていた.しかし,当時世界的に高かった異種移植への関心は,その後急速に失われていった.超急性拒絶反応の制御に加え,未知のウイルスや病原体がドナー動物からヒトに感染するリスクを排除できなかったからである.しかしその後,彼はグラントが減っても異種移植の研究をコツコツと続けた.フィラデルフィアからシカゴへ,そしてNational Health Institutes(NHI)からメリーランド大学へと移籍した.そして2022年1月,ムハマドをリーダーとする異種移植チームは,ついに世界初の遺伝子改変ブタ心臓のヒトへの移植を行った.お祝いのメールを彼に送った.「30年の長い旅(journey)でとうとう辿りついたよ」との返事であった.患者は術後2ヵ月で死亡した.病理的には典型的拒絶反応ではなく,原因不詳の微小循環障害と報告され,未知のウイルスがブタに感染していた可能性も指摘されている.そして2023年9月,第2例目が行われたが,患者は6週目に死亡した.死因の徹底分析による生存期間延長と遺伝子改変ブタの作成費用の削減(現在1頭7,000万円以上)が大きな課題であるが,ヒトの死を前提としない異種移植の未来に一筋の光が差した.今後も続く彼のjourneyでの幸運を祈るばかりである.
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