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❁ 事例紹介
Kさん,44歳,男性.
患者は3年前に肺がんを発症し,当時から多臓器への遠隔転移があり,手術適応にならずに抗がん薬治療を続けてきた.1ヵ月前に,肺がんではなく,気胸による呼吸困難のために入院し,治療を受けていた.
気胸の治療が一段落したある日,主治医から,抗がん薬の効果がなくなってきており,肺がん治療は困難な時期にきたことが告げられた.その2日後,気胸が改善したため,準集中治療室から一般病棟に転出した.
一般病棟に移動した後,家族も病棟看護師も,抗がん薬による治療がなくなったことを理解し,今後は患者に残された日々を有意義に過ごすことを願った.そのためにまず退院し,在宅酸素療法,在宅診療を受けながら患者が望むような生活ができればと考えた.しかし,患者にそのことを話しても本人は「僕は治療を続けたい.死ぬことは考えられない.僕は生きたいんだ」と繰り返し,家族や医療者が治療法がなくなったことを繰り返し説明しても,同じ返事で,最後には「死ぬ話はしないでくれ」とはっきり言うようになった.妻は,患者とこれからの生活その他を話し合っておきたいと思ったが,患者の強い拒絶でそれができず悩んでいた.病室内は,死の準備の話をしたい家族や看護師と,それを避けたい患者の間に緊張した空気が流れてピリピリした雰囲気になっていた.
患者は大学卒業後大企業で工場機器の設計士として長年勤務し,部下の人望も厚かったという.妻と中2の一人息子の3人暮らしで,家庭は円満であった.
ある日,そんな状況の患者と話をすることになった.患者は今はやせ,髪は白髪交じりだが,少年の面影が残るような風貌で,外見は年齢相応だった.鼻腔酸素チューブを装着し,話すときは息がきれた.眉間にしわを寄せ暗く深刻そうな表情だが,会話をすることは拒まなかった.
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