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Ⅰ.はじめに:2006年医療制度改革の位置付け
2006年に我が国の医療制度をめぐって大きな改革が実施された.この改革については,少なくとも次の2つの側面から考察することができる.まず,第1に,2006年改革は,単独の改革というより,むしろ3年続いた社会保障制度改革の締め括りとして位置づけることができるという点である.2004年には,年金制度の大きな改革が実施された.公的年金については5年に1度「財政再計算」が行われることになっているが,2004年はちょうどその年に当たっていた.確定した将来の給付水準に合わせて保険料水準を決めるという従来の方式に替えて,逆に将来の保険料負担に上限を設け,給付水準を調整していくという少子・高齢化の急速な進展に即した考え方(いわゆるマクロ経済スライド)が取り入れられた.2004年には,制度改革と合わせて,基礎年金の未加入問題が大きな政治的・社会的問題として取り上げられたが,2004年は,全体として「年金の年」であったと言ってよいだろう.
次いで,2005年には介護保険制度の改革が実施された.2000年に創設された介護保険制度については,制度創設後5年目に当たる2005年にその見直しを行うことが決められていた.制度改革をめぐる議論の中では,被保険者および受給者の範囲を拡大し,主として高齢者の介護問題に対応するためのシステムである現行介護保険制度を,障害者等の問題を含めた介護一般に対応する制度に拡大することも検討されたが,結局,今回はそうした基本的な見直しは見送られた.2005年の改革では,新たな予防給付の創設,地域密着型サービスの創設等を含む改革が実現を見ている.2005年は,全体として「介護の年」であったと位置づけることができる.
2004年の年金,2005年の介護,と続いて,2006年がいよいよ医療制度改革である.これで,年金,介護,医療という我が国の社会保障制度の根幹をなす3つの制度改革が一巡することになった.小泉首相の下でのいわゆる「聖域なき構造改革」路線の一環としての社会保障制度改革の総仕上げということになる.
第2に,医療政策に限って考えてみると,2006年改革は,ほぼ20年ぶりの大規模な医療制度改革であったと位置づけることができる(注1).少し歴史をさかのぼって10年単位で問題を捉えてみると,1980年代は,医療制度に関しては,「改革の10年」であったと言える.1973年のいわゆる「福祉元年」における給付水準の大幅な引上げの後,第1次石油危機後の経済成長率の低下の中で,危機的状況に陥った医療保険財政を支えるため,大きな改革がほとんど2,3年おきに相次いで実施に移された.老人保健制度の創設(1982年)および大改正(1987年),退職者医療制度の創設および被用者保険本人一部負担の導入(1984年),国保制度改革(1988年)等,およそ今日の医療保険制度を構成している基本的な枠組みがこの10年間で整備された.これに対して,続く1990年代は,実は医療本体についてはあまり大きな改革がなかった10年間だった.90年代における議論は,もっぱら高齢者に対する介護をどうするかというテーマに集中したと言ってよい.その成果が2000年における介護保険制度の創設につながるわけであるが,医療本体の改革についてはあまり大きなものはなかったと言える.ようやく1997年に至って,被用者保険本人一部負担の引上げ(1割→2割)等を内容とする医療制度改革が実現を見た.この1997年を転機に,医療制度の「抜本改革」が議論されるようになり,その後,2000年,2002年と一定の改革が実施されたが,「抜本改革」とは程遠いものであった.2006年の医療制度改革は,この1997年以来約10年間にわたる議論に決着をつけるものであったと位置づけることができる.
2006年の医療制度改革については,さまざまな評価があり得る.これを「聖域なき構造改革」の一環として評価する意見もあれば,逆に,近年におけるいわゆる「医療崩壊」の一因とする否定的な意見もある.2006年改革についての評価は未だに定まっているとは言い難い.しかしながら,そうした評価や改革の内容についての是非論はしばらく措くとしても,今回の改革の範囲および規模が極めて大きく,今後の日本の医療のあり方に大きな影響を及ぼす可能性があるという点についてはおおかたの賛同が得られるものと思われる.
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