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はじめに
糖尿病腎症による腎不全を合併する患者の多くは,長期間,高血糖状態にあった人々であろう.このような長期間,高血糖にさらされてきた人々は,どのような身体で,病いとともに生き抜いているのだろうか.今,ここで用いた「高血糖にさらされてきた」という用語に引っかかりを感じた人もいるかもしれない.糖尿病,特に2型糖尿病は境界型の時期をも含めると,長い年月,血糖値が正常よりも高い状態にあったと考えられる.この状態を私は,「高血糖にさらされてきた」と捉えた.それは,自分からさらしたのではなく,「いつの間にか」で,受け身的であるのだ.だからこそ,「さらされてきた」という表現がぴたりとした.「いつの間にか」で受け身的というのは,自身が学んだ修士課程での2型糖尿患者へのインタビューから得たことだった.彼らへのインタビューで,「糖尿病は症状に乏しいのではなく,症状は生活に埋没している」ということの発見があったのだ.
たとえば,頭が痛い,胃が痛いなどは,たいがいの場合,「朝起きたら,頭が割れるように痛かった」とか,「夜中に,胃がキリキリ痛んで苦しかった」と,はっきりと身体の不調としてその始まりの瞬間から自覚できる.しかし,2型糖尿病患者は,「今朝から,高血糖になって喉が渇くようになった」などとは言わない.インタビューした患者は,「だるいな,仕事がはかどらないな,過労だと思っていたら,入院して高血糖のせいだとわかった」とか,「車での通勤途中で,自動販売機があるたびに止まってジュースを飲んだ.周りから変だ,異常だと言われて病院に行ったらすごく血糖が高いと言われた」など,後から振り返って,高血糖と関連づけられていた.まさに,高血糖の症状は,普段のその人の生活に埋没しているもので,高血糖にさらされてきた暮らしの積み重ねの結果,身体に現れてくるものが症状であり,それに気づくことは,糖尿病患者が糖尿病と付き合っていく療養にとって大切なことと考えた.
以上のことから,「埋没している症状を浮かび上がらせる」という看護の働きかけによって,2型糖尿病患者は,「糖尿病という病気と自分の症状をつなげる」ことができ,今後に向かって「今の自分の身体を整える」「生活を見直す」こと,すなわち糖尿病とうまく付き合って生活をしていくことができるようになるのではないかと考え,修士論文で“長期間,高血糖にさらされてきた2型糖尿病患者への身体の感覚に働きかけるケア”に取り組んでいった.
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