追悼
中野 浩先生,長い間お疲れ様でした
芳野 純治
1,2
1大名古屋ビルセントラルクリニック
2藤田医科大学
pp.352-353
発行日 2023年3月25日
Published Date 2023/3/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1403203147
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中野浩先生は昭和42年に名古屋大学を卒業されました.私は昭和50年の名古屋大学卒業ですので,先生の8年後輩になります.先生は大学卒業後に中澤三郎先生が主宰される名古屋大学第二内科第六研究室に入られました.昭和43年に癌研究会附属病院に1年間,国内留学をされ,熊倉賢二先生に胃X線検査の教えを直接受けたと伺っています.そして,昭和50年に医学部が設置されて間もない名古屋保健衛生大学(現在の藤田医科大学)に移られました.私は昭和54年に先生の後を辿るように,同じ名古屋大学第二内科第六研究室に入りました.そのときには先生は既に大学を移られた後で,直接,教えていただく機会は残念ながらありませんでしたが,先生のお話をたくさん聞くことができました.
当時の名古屋大学では胃X線検査は暗室にて近接撮影装置を用い,重いX線防護衣を着て行っていました.先生は背が高く,また肩幅が広く,見上げるような巨漢と言って良いような立派な体格をされており,それにX線防護衣を前後に2枚着用して胃X線検査に情熱を注がれておられた姿は語り草になっています.暗室での胃X線検査は昭和56年頃になくなりました.私が名古屋大学に在籍していた当時,研究室では毎週月曜日の夕方に消化管のX線写真の読影会を行っていました.時々,先生は豊明市の名古屋保健衛生大学からわざわざ来られ,ご指導をいただくこともありました.
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