追悼
「親分」,長い間お世話になりました
芳野 純治
1,2
1大名古屋ビルセントラルクリニック
2藤田医科大学
pp.906
発行日 2024年6月25日
Published Date 2024/6/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1403203655
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中澤三郎先生は昭和33年に名古屋大学を卒業され,名古屋大学第2内科に入局されました.松山市,湖西市などに赴任され,がん研究会病院にも研究に行かれた後,第2内科第6研究室(2内6研)を主宰されるようになりました.私は昭和50年の卒業で,昭和54年に2内6研に入れていただきました.
私が入った当時の中澤先生は講師で,2内6研は消化管形態グループ,胆膵グループ,消化管機能グループに分かれ,大勢の医局員がいて大変賑やかで強く団結した活気ある研究室でした.そして,先生は医局員の間で尊敬と畏怖を込めて「親分」と呼ばれていました.学生時代にはバスケットボールをされ,長身で当時は随分太っておられた堂々たる体格で,医局を取り仕切っておられたことから「親分」はぴったりな呼び名でした.いつも朝早く大学に来られ,私が研究室でコーヒーを沸かしていると,突然入って来られてコーヒーを入れたカップに少し水道水を足して,それを飲みながら研究のことやこれからの指示を出して,忙しそうに出ていかれたことを思い出します.また,泉から水が湧き出るようにアイデアを次々に出されました.1976〜1993年まで「胃と腸」の編集委員を務められ,早期胃癌研究会の終了後に武内俊彦先生(当時 名古屋市立大教授)とホテルの一室でビールを片手に研究会で提示された症例について楽しそうに話をしておられたこともありました.
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