- 販売していません
- 文献概要
1.はじめに
本題に入る前に、医療倫理、看護倫理について触れておきたい。医療全般の倫理は、真善美と関連づけて考えることができる。真は真理、すなわち科学であり、医療は医科学の患者への適応と考えることができる。医療には科学的な基盤が求められる。しかし、それだけで十分であるとは言えない。必要ではあるが、十分ではない。何が十分ではないかというと、その医療行為を行うことが患者にとって本当に善いことなのかという判断であり、それが必ず求められる。これが、倫理的判断ということになる。さらに、患者の苦痛を最小にする、そういう技(これが美アートである)をもってなされなければならないと言える。
それでは看護倫理はどうか。医療倫理の考え方とそれほど違わないのではないか。異なるとする必要があるか。学会設立の準備中に、ある新聞社の取材を受けた際に、なぜ、医療倫理、生命倫理等々ではなくて看護倫理なのか、なぜ、看護倫理の学会を、設立しなければいけないのかという質問を受けた。この質問を機に改めて考えてみた。医療倫理はやはり医師の判断に焦点があてられているものがほとんどであり、看護師が参考にするにはかなり限界がある。例えば、看護師が実施することの多い抑制・拘束、あるいは高齢者の療養の場をめぐる問題などは、ほとんど取り上げられない。そういう意味での限界が大きい。
次に、多くの生命倫理や臨床倫理の書籍には、医療現場におけるさまざまなケースを取り上げ、倫理原理に照らして、あるいはいくつかの観点を明確にして検討がなされている。看護師にとっても日常的に遭遇する問題も多く含まれており、役立つところも多々ある。しかしながら、残念なことに実際の医療現場では医師の判断、医療行為が倫理的とは言い難い場面が生じうる。しかも医師は大変大きな権限をもっている。看護師が医師の判断・行為に倫理的な疑問を感じて、質そうとしたり、自身の考えを述べたりするとき、医師が応じてくれるとは限らず、医師の権限に阻まれることも少なくない。看護師が患者の権利擁護を自らの役割ととらえ、その役割を果たそう、倫理的な問題解決を図ろうと動くとき、政治的な状況がはからずも生じてしまう。話し合いのテーブルにどうついてもらうか、そのもっていき方が重要になる。看護師にとって、これは避けて通れないしかも非常に切実な問題である。現場では医療倫理あるいは生命倫理の枠組みだけではどうにもならない問題が多いのである。
さらにその患者の身近にいる看護師だからこそ、さまざまなことに気づくことも多いし、悩みも深い。解決の道筋を探ろうとするアプローチ、看護師という立場の強みを生かしたものである可能性がある反面、それゆえの制約もある。こういったことを考えると、その看護倫理を独自に探究する必要性があると考える。
Copyright © 2008, The Japan Nursing Ethics Associatin. All rights reserved.