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はじめに
大阪府立中宮病院が設立されて60年を迎えようとしている。人間でいうなら還暦の年にあたるわけだが,その間作業療法については,シモンのもとで学んだ長山による作業療法の展開や,院外保護の実践が行なわれている。
そうした折の昭和14年に,当院に隣接する枚方火薬庫の大爆発がおきたが,当時実践されていた作業療法の効果によって患者は機敏に行動し,無事故による避難ができたという逸話も残っている。
第二次大戦が激しくなるにつれ,食糧難のために多くの患者が死亡していったという悲しい記録も残されている。終戦後もこうした状態が続いていたが,当院にも,昭和30年代に入って,向精神薬を使用するようになり,少しずつ開放化のきざしがうかがえるようになってきた。昭和35年にはレクリエーション係が設置され専任のスタッフが配置された。昭和36年には,同意入院を取扱うことになった。
一方作業療法については,男子作業は農耕園芸の種目に新しく二部作業とよぶ軽作業を加え,女子作業も和裁・洋裁・手芸の種目に新しく二部作業とよぶ軽作業を加えている。
こうして,作業療法,レクリエーション療法の広がりがあって昭和43年に,旧病棟2,032m2(2階建)が作業療法棟として改造され,レクリエーション療法には社会療法棟(体育館)が新設され,この両者を合わせて名称も活動療法科として誕生した。
今回,協会機関誌編集委員会から執筆依頼があった。当院における作業療法のささやかな経験を実務的に報告することによって,多少なりとも役立つことができるのであればと考え,あえて昭和43年から現在までを,作業療法の分野に限って報告したい。そして御批判をいただきたいと考える。
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