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はじめに
身体の痛みやしびれなどに苦しむ演奏家は,洋の東西を問わず数多く報告されている.近年では,世界的ピアニストであるランランが指の故障のためにすべてのコンサートをキャンセルしたことは記憶に新しいが,古くはロベルト・シューマンの妻でピアニストのクララ・シューマンが慢性疼痛を発症したり,グレン・グールドが手首の疼痛に悩まされたり,ユーディ・メニューインが晩年右腕の振戦に苦しむなど,その例は枚挙に暇がない.国内でも,ピアニストおよびピアノを専攻する学生200余名を対象としたアンケート調査の結果,その6割以上が練習をしていて身体の痛みやしびれを経験したことがあると回答している1).その背景には,楽器演奏において,動作のタイミングの正確性と空間的な正確性の両方を要する動作を,幼少期から毎日数時間,長期間にわたり行う必要性があることが一因に挙げられる.しかし,1日の大半を練習に費やしても,身体を傷めない音楽家も数多く存在することから,練習量だけが障害の原因ではないことは明らかである.これは,障害発症の危険因子を同定することにより,発症や再発を予防できる可能性を示唆している.さらに,病態を精緻に理解することは,臨床現場において特に,障害を正確に評価し,その内容に応じた適切な治療や介入を行うために不可欠である.
このようなアプローチは,アスリートを対象としたスポーツ医科学やリハビリテーション医学において,長年実施されてきた.その結果,例えばランナー膝や野球肘といったアスリートの障害の予防や診断,治療,機能回復訓練において,すでに大きな成果を挙げている.さらに,大学の医学部をはじめとする教育機関では,後進の育成のための教育プログラムが確立されており,分野の持続可能性を実現する仕組みが整備されている.このように,アスリートに対する研究・教育・臨床基盤は確立されている一方で,音楽家に対する同様の基盤は,いまだ驚くほど整備されていない.その背後には,音楽演奏は,スポーツに比べて低強度のために身体への負荷や障害リスクが軽視されている点や,芸術的な要素に目を向けられがちである点などが挙げられる.しかし,手指をはじめとする小筋群を長時間にわたり毎日酷使する音楽家の実態は,欧米では80年代に入ってようやく広く認知されるようになった.
本稿は,演奏によって発症し得る運動機能疾患と発症の危険因子および治療法について概説し,併せて,予防や再発防止および根治のために不可欠となる身体教育とそれを支える研究成果について紹介する.
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