わたしの大切な作業・第74回
作業と演奏
きりばやしひろき
pp.457
発行日 2024年6月15日
Published Date 2024/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.5001203787
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幼いころ、母のサンダルの音はいつも他者とは違った。愛犬はいつも私の下校にだいぶ遠くから気づき、吠え始めた。似たような経験はないだろうか。足音の話だ。音量、トーン、リズム、余韻等、足音は情報の塊であり、それぞれに個性が出る。気のせいではない。AIが足音の波形で個人を識別できるのだから。そんな時代に非科学的な話を一つ。楽器を用いずとも、人の演奏センスを私はある程度計ることができる。超能力ではない、ただの職業病だ。
どんな楽器でもいい、ビギナーが譜面を見て奏でる様子を想像してほしい。聴感上どう響いているかは、ここでは不問。ただただ目の前の記号を忠実に音に換える行為、これを音楽では“作業”と呼ぶ。対して「聴感上どう響いているか」を五感と心で探りながら無機な音符たちを生き物に換える行為、これを“演奏”と呼ぶ。音楽においては「耳にどう届くか」がゴールであり、その他すべてのアクションは“過程”に過ぎない。作業に縛られて耳に意識が回らず、ミストーンに気づかないビギナーは多い。本誌上では不適切だが、音楽において“作業”というワードは、比較的ネガティブな意味合いで用いられる。統計上、ビギナーの過半数は“演奏”に至らぬまま挫折する。一方、挫折しにくいタイプは皆“過程”を楽しんでいる。イチローは「小さな事を重ねるのがとんでもない所へ行くただ一つの道」と語った。昨日できなかったことが今日できた喜び、その小さな一歩こそが“作業”の先へ進むための原動力だ。
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