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明けまして,おめでとうございます。2017年,この年に私はとうとう55歳となる。以前の会社なら退職か嘱託かを迫られる歳である。私は,40歳でPTとなり第二の人生を歩んでいる。それまで14年間製薬会社のMR(医薬情報担当者)として生計を立てていた。ボーナスは年間200万円以上,接待で高級料理店,クラブやスナックをはしごしていた。営業ノルマは厳しかったが,お金に困ったことは一度もなかった。しかし,その後バブル経済の崩壊を契機に会社はリストラを一気に進めた。どの世界でも変革の嵐は予想を超えた形で押し寄せる。そして,生きるためにもう一度勉強し直し,2003年よりPTとして働きはじめた。支えてくれたのは薬剤師であった妻だったが,妻が妊娠し収入がなくなり,家計は火の車となった。働かないということは,こんなにもお金がなくなるのかと驚愕したことが思い出される。就職1年目は孤独との戦いであった。午前も午後も一人職場で業務を行い,相談する仲間もおらず,それでも信念は変えたくなかった。「人の役に立ちたい。認められたい」40歳になってからの転職である。子どももでき,もう過去には戻れない。年収はMR時代の1/3となっていた。とにかく必死であった。ここで出会ったのがシーティングという当時まだマイナーな領域である。リハ工学関係やNPO法人日本シーティング・コンサルタント協会のセミナーに参加し,学会での発表もシーティング関係を中心に行った。その結果,シーティング・コンサルタント(第0001号)として認定され現在はNPO法人日本シーティング・コンサルタント協会の理事として活動している。また,日本褥瘡学会の認定褥瘡理学療法士(第483号)として日本褥瘡学会の評議員となり,2014年4月より一般社団法人鳥取県理学療法士会の副会長(公益事業部長 兼務)も務めている。
PTとして5年が経過し仕事にも慣れ慢心が出はじめた頃,大きな転機が訪れた。澤村誠志先生の講演会で質問をしたところ,先生より一喝されたのである。質問内容は介護保険の問題点についてであったが,わかったことのように話す私の心の中を見透かすかのごとく,「目の前の患者をしっかり診なさい!」と,500名以上の聴衆がいる前で一喝された。私は直立不動となり「すいませんでした」と声を上げ着席した。この事件は私にとって大きな転機となった。「目の前の患者をしっかり診なさい」この言葉が私を救ってくれた。目の前の患者をしっかり診ることがリハ専門職PTの仕事である。
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