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世の中何が起こるかわからない。私が医学部を卒業する頃は,漠然と運動器の基礎研究を志していて,そのまま母校の大学院に進み,骨が吸収されるメカニズムの研究を始めた。骨のできるメカニズムの研究は多くの施設が手がけていたので,田舎の小さな大学で流行を追いかけても勝負にならないと思っていた。研究は競争の世界でもある。運良く2年あまりで論文がまとまり,残った時間は研究でお世話になった病理学教室で細胞培養をしながら,肉腫といって骨や軟部組織にできるがんの研究を手伝い,さらに病理解剖の仕事もするように言われ,亡くなった患者さんの解剖も手がけるようになった。医師免許の次に得た資格は整形外科専門医ではなく,死体病理解剖資格であった。
大学院を卒業すると,生活の面倒を見ていただき,お世話になった整形外科学講座で,お礼奉公もかねて2年ほど,整形外科の研修を積むことにした。臨床の勉強をしながら,基礎と臨床の架け橋となるような研究テーマを探すにはちょうど良い機会と考えていた。当時は人工股関節の耐久性が今と比べて不十分で人工関節から出る金属やプラスチックの摩耗粉によって周りの骨が溶けてしまい,人工関節の緩みと,その再手術が大きな問題となっていた。ちょうど,大学院の研究テーマの1つが骨吸収だったので,そのまま人工関節周囲の骨吸収を予防して耐久性を向上させる基礎研究,そして股関節の手術が次第に自分の仕事の中心となっていった。しばし山形県を離れていたが,新任教授のご厚意で30代半ばで母校で教官職をいただき研究を続ける機会を得た。しかし,田舎の小さな大学では,自分の好きな股関節の臨床や,基礎研究ばかりしているわけにもいかず,その恩師から,まず初めに手薄だったリウマチ診療,それが軌道に乗ると次はリハと,担当する仕事が増えていった。大好きな人工股関節の研究にかける時間を工面するのに苦労したが,十分な治療が受けられず困っている大勢のリウマチ患者さんや,また,医師数の足りないリハの仕事も始めてみると,新しい発見や経験,医療や社会全般の知識も広がり,時間的にはつらいながらも,さまざまな分野の仲間も増え,仕事はより充実していった。リウマチ学やリハ医学の知識が,人工関節の耐久性を向上させる研究に役立つことも少なくなかった。
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