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はじめに
Horner症候群の名は,1869年,スイスの眼科医Johann Friedrich Horner(1831-1886)が交感神経系の障害により同側の眼瞼下垂,縮瞳,無汗症などの症状を呈することを報告したことに由来する.彼は同側の眼瞼狭小,縮瞳,眼球陥凹,半側顔面の紅潮,温度上昇と発汗消失を呈した40歳例を報告し,症状の出現範囲が三叉神経支配域を超えており,これらの症状の組み合わせと分布の広さから交感神経障害に由来すると結論づけた10).しかし,Hornerがこの報告に至るには過去の同様の症例や動物実験の蓄積があった.
1727年,François Pourfour du Petit9)がイヌの交感神経幹の切断により眼球陥凹,眼瞼狭小,結膜充血,縮瞳が生じることを報告した.1838年,Edward Selleck Hare5)が一側の縮瞳と眼瞼下垂を呈する頸部腫瘤症例を報告したが,交感神経障害については言及していない.1839年,John Reid11)はHareの報告を受け,これが交感神経障害に由来する症状であると推察した.1852年,Claude Bernard1)はウサギの交感神経を切断すると同側の縮瞳,結膜充血,眼球陥凹,眼瞼狭小,眼圧低下,鼻孔の縮小,顔面半側の紅潮と温度上昇が生じることを報告した.さらに,切断した交感神経を刺激して逆の反応が起きることも示した.1861年,Silas Weir Mitchell7)(1829-1914)が頸部に銃創を負った兵士の同側にみられた眼瞼下垂,縮瞳,眼球陥凹,半側顔面紅潮を報告し,交感神経損傷に由来すると考察した.Claude Bernardの功績を評価し,Horner症候群をフランスではClaude Bernard症候群,英国ではBernard-Horner症候群と呼ぶことがある.
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