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新生児仮死,お風呂での溺水による低酸素性脳症,進行性脊髄性筋萎縮症等,疾患や障害は違うものの,気管内挿管や気管切開・人工呼吸器管理が必要な重度重複障害を抱える子どもたちが思い浮かんでくる.当院には,かつて,そのような子どもたちが長期に入院する病棟が小児科病棟の中にあった.毎日,その病棟の子どもたちとその両親とかかわった.声や刺激にわずかにほほ笑んだり,目をきょろきょろさせ,表情を変えたり,指先だけの少しの動きを見せたり,その子その子のできることを確認しながら,作業療法士としてかかわっていた.その当時,人工呼吸器管理,吸引,経管栄養等を自宅で実施することは到底想像できず,ずっと入院を余儀なくされ,この病棟こそがこの子と家族の生活の場であり続けると思っていた.
あるとき,人工呼吸器管理中の子どもの母親から,自宅へ連れて帰りたい,地域の学校に通わせたいという強い気持ちを聞かされた.それは無理,最初はそう思った.しかし,当時の小児科医師,看護師等,スタッフ全員はチャレンジャーだった.どうすれば家へ帰れるかを考え,まずは自宅への外出からトライした.20kg近い人工呼吸器を載せた特注の車いす(ストレッチャー)を準備し,必要なものをすべて搭載して,外出した.そこから,数年かけ,退院し人工呼吸管理のまま在宅で生活を始めた.何もかもが試行錯誤の連続であった.ほとんどの介護を母と近隣のボランティアの人たちに支えられての在宅生活だった.在宅での生活を目指したときに,全国には同じように自宅へ帰るために頑張っている家族がいることを知ることができた.そして,その家族とつながることで,多くの情報を得て,結果,自宅・在宅への道がぐっと近くなった.ただ,実際の生活は大変な状況だった.しかし,母親はエネルギッシュで,子どももめいっぱい元気だった.
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