連載 作業療法を深める・第86回
アクセシビリティという考え方(前編)
髙尾 洋之
1,2
,
竹下 康平
1
,
高橋 宜盟
1
,
岩下 璃香
1
,
信朝 裕行
1,3
,
河田 茂
1
Hiroyuki Takao
1,2
,
Kohei Takeshita
1
,
Yoshiaki Takahashi
1
,
Rika Iwashita
1
,
Hiroyuki Nobutomo
1,3
,
Shigeru Kawada
1
1東京慈恵会医科大学 先端医療情報技術研究部
2東京慈恵会医科大学 脳神経外科学講座
3慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科
pp.48-51
発行日 2024年1月15日
Published Date 2024/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.5001203655
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はじめに[概論]
私は,5年前〔2018年(平成30年)8月〕に重症ギラン・バレー症候群になり,目覚めたときには四肢麻痺で目しか動かせず,人工呼吸器をはじめ身体中に管がついている状態でした.周りの言っていることはすべて理解できるのに,わかっていると伝える術がないまま,天井を見続ける日々でした.そのときは,周りの誰もが,私がコミュニケーションをとれるようになるだろうか,そもそも言葉を理解し考えることができるだろうかと思っていたでしょう.
多くの病気はだんだん悪くなり,そのときの状況が伝えられません(図 1).一方,ギラン・バレー症候群は,最初に最も悪くなり,だんだんよくなる病気です.普通は悪くなったときの状況をなかなか自分で表現できないのですが,私は悪くなったときからだんだんよくなっているので,悪いときの状況を伝えることができます.
現在は,身体から管は外れ,口から食事ができるようになり,以前とは同じではないものの,再び自分の声で話せるようになりました.四肢麻痺の程度は少し改善し,肘は曲げられるものの,指はまだ自由には動かせません.入院中にiPadのアクセシビリティ機能に助けられ,現在は少しずつ日常の不便を解消しながら,仕事も再開しています.
この病気になり一番つらかったのは,コミュニケーションがとりづらくなったことです.脳神経外科医である私が患者となり,自分自身のこととして体験・実感した,アクセシビリティという考え方の大切さについて,共有したいと思います.
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