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Key Questions
Q1:障害のある子どもや人たちは“どこから来ているのか?”
Q2:療法士の認知特性とは?
Q3:無駄に思える情報がどのようにして次の機能に結びつくのか?
はじめに:療法士,遊びは学べば育つのか?
遊びは子どもだけでなく人類にとって必要不可欠な作業であるということに異論を唱える者はいないだろう.筆者は発達領域のOTとして30年余り,主に肢体不自由や重症心身障害のある子ども,人たち(以下,子どもや人たち)と,家族,支援者に携わってきたが,作業療法の時間に限らず,どのようなときでも,「何かおもしろおかしいことはないか?」,「遊びにならないか?」と考え続けてきた.思い起こせばOTになって2年目には「こどもの遊び環境研究会」に所属して,遊びについて,調査,分析,報告の一役を担わせていただき,多くのことを学んだ.時を同じくしてOS(Operation Service)研究会というSIGに参加して,OTの仲間たちと遊び心を養った.遊びに関連するであろうさまざまな分野の文献—作業療法やリハに関するもの,運動発達,発達心理学,アフォーダンス,育児書や指導要領等—を紹介されれば,急いで書店に注文したりコピーしたりして,手に入れては眺め,本棚に並べて飾った.さまざまな研修会,講習会に参加して情報収集に勤しんだ.そして,いつしか自身が先輩になり,指導的立場となり,講習会の講師として遊びをテーマに講釈を垂れるようにもなった.そして,そういった経験を経た今,本稿をしたためている.
しかし,長年積み重ねてきた知識と技術によって,子どもや人たちとの遊びの展開が,遊びの本質として表現されるように,より偶発的で,次々と予期せぬ新たな可能性を発見し,思いのままに時と我とを忘れて没頭し,腹の底から笑い合えるようなものになったのだろうか?
遊びのダイナミクスに魅せられながらも,臨床実践指導者の猛者になるべく,前もって子どもの応答を予測できるようにはなった.確信をもって重症心身障害児者の反応を待てるようにはなった.不意の反応に対しても,事前に打っておいた布石により対処できるようにはなった.発見ありきの偶発性を期待しつつ想定内に収めるようにはなった.遊びの主導権を握り,子どもや人たちと家族・支援者から信頼を得られるようにはなった.内外の多職種や研修に来られた方々に子どもや人たちの変化をお示しし,いくつかの理論的枠組みを引用して説明できるようにはなった.つまり,余裕をもって取り組めるようになったということである.
子どもや人たち本人をはじめ,皆さん喜んでくださることをいいことに,本人主体を目指してきたはずの遊びやセラピィの展開が,療法士主体になってはいなかっただろうか……と省みる.新人時代,職場に招いた外部講師をして「魔物がいる」と言わしめた由緒ある訓練室で,ただただ必死に遊ぶしかなかった.捨て身の心情で,歌って踊って汗をかき,子どもと向き合い,遊ばれていた…….“療法士として”独り善がりな固執から抜け出せなくとも,主導権と主体は子どもにあった.周囲から失笑を買うことを誇りに思うしかなかったころが懐かしい.そして今,汗かきべそかき奮闘し,子どもに遊ばれている後進たちの姿と輝きに乗じ,指導の名のもと一緒に多くの発見をさせていただいている.
情報化の時代,筆者が積み重ねてきた知識や技術をいかにも学術的であるかのように本稿で論じたところで,結局のところ過去の論文の“焼き直し”にしかならず,後進たちのお役には立てないと考えた.本人主体のリハ実現のために,次代を担う後進のために,“遊んで機能が育ち,機能が遊びを育む”作業療法の展開のために,臨床現場で子どもや人たちから直接学んだことをまとめてみようと思う.
その前に,これから一緒に遊ぼうとしている目の前の肢体不自由や重症心身障害,あるいは発達障害のある子どもや人たちが“どこから来ているのか?”考え直してみたい.
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