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はじめに
現代社会はペットブームもあり,わが国の犬の数は現在14歳以下の子どもの数を上回り,犬を含むペット動物に対する人々の意識は大きく変遷した.かつてのように犬を不潔,危険とみなす傾向は著しく減った.
一方で,医療の高度化に伴い,治療のあるべき方向をQOLや心理的評価の観点でとらえる傾向も強まり,補助療法も普及しつつある.補助療法の中で,動物介在療法は唯一,介在させるものが命ある,植物とは異なりストレスを感じ,自ら動く,意志をもった,おのおのに異なる個なるものである.
意志をもった動物が適切に選ばれているかということと,その個が適切に扱われているかを代弁する者が必要である.すなわち,動物介在療法・活動導入において最も重要なことは,動物の選定を含めた導入前の準備であり,準備こそが動物介在療法・活動が効果をもたらすものとなるか,逆に事故につながるかを決める.
犬や猫を撫でること,動物と接することでの効果を科学的に実証しようという調査研究が行われはじめたのが1990年代である.血圧や脈拍が下がる,高揚感や幸福感がもたらされるといった研究結果は,筆者からすればリラックス効果として当然と思うところであるし,それがどれほどの効果なのかはかねてから疑問である.昨今の研究では,この高揚感,幸福感は,動物と接しているときに分泌されるオキシトシンによるものとの説である.では,なぜそのような生理的効果,精神的安定がもたらされるのだろうか.多くの説がある中でも,「原始の血」説を紹介しておきたい.
動物と接することがもたらす効果の最終的な証明は,「幸せ」や「うれしい」,「楽しい」といった感情を科学で証明することになり,個人的にはあまり関心がない.そもそも補助療法が目指すところは医学的治療法の効果を高めることで,それは患者本人が主観的に楽しみを感じ,より意欲的に治療に臨めることを期待したものであるはずである.「原始の血」説とは,すべての動物が他の動物がリラックスしている姿をみることで周囲に危険がないことを知り,自らもリラックスすることができる,逆にストレスがかかった動物を見れば自分にも危険が及ぶ可能性を感じる,というものである.単純な説であるが,最も基本的な考え方である.
動物は人間と共通の言葉をもたない.感情を行動で表現する.たとえばストレスがかかり,「イヤだ」,「触らないで」,「休みたい」等の感情を,「目を逸らす」,「尻尾を下げる」,「あくびをする」等,さまざまな行動で表現する.それを人間が察知できず,ストレスをかけ続けることで,動物の「吠える」,「飛びつく」,「咬む」といった行動を引き起こすことにつながる.動物の側からすれば,自己防衛なのである.
このようなところまでいかずとも,「原始の血」説から考えれば,「イヤだ」と身体表現をしている動物を触っても,リラックス効果は望めない.「休みたい」と目を逸らす動物から,そのサインを受け取れなくなっているのは,動物の中で人間だけなのかもしれない.
動物の中には,複数の人と接することが得意であり,愛想を振りまき,複数の人に均等に挨拶にいったり,遊ぼうと誘う動物がいる.誰の腕の中でも熟睡できる動物もいる.逆に人見知りをする動物もいる.このような個々に違う動物の適性を評価し,導入することで初めて,動物介在療法・活動導入の前提ができ上がる.また,この動物には必ず,代弁者であり保護者である管理者,すなわち飼い主が必要である.つまり,適性のある動物と適切なボランティアである飼い主が揃って初めて導入できる.昨今は多くの施設や病院での導入があり,活動の提供をする団体も多いが,動物の適性を重要視せず,導入ありきで動物にストレスがかかることに特段の配慮をしない活動が多いことは非常に残念である.
本稿では,動物介在療法を補助療法として導入するために身につけておくべき知識について述べるとともに,動物介在療法ではないが,「生きた自助具」として肢体不自由者の日常生活動作を補助し,精神的,社会的効果をもたらすことで障害者の自立と社会参加を促進する「介助犬」についてのOTの役割を述べたい.
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