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思い起こせば長く編集委員を務めたものだと感慨深い.6年間の編集主幹,そして小生ただ一人発刊から20年,編集委員を務めさせて頂いた.一度も欠席することなく2か月に一度,総計126回の編集会議に出席できたことをうれしく思っている.思い起こすのは,1995年5月27日,最初の編集会議が開催された旧医学書院社屋の小さな部屋の光景である.出月康夫編集主幹,北島政樹副編集主幹を前に4名の編集委員が新たな機関誌の発行に向けて熱心に討議した光景が目の当たりに鮮明によみがえる.まず表紙は慶應義塾大学の故大上正裕先生が提案した図柄とお馴染みの赤を基調とし内視鏡外科に関わる機器をイラストにした現在のJSESロゴに編集委員全員一致で決定した.そして当初は,編集委員がその専門分野でテーマを選定し著者を決定する特集を中心に一般投稿も募集する方法で進めることが決定され,第一号は大腸癌をテーマとして小生が案を練ることが決まった.また,創刊号では出月主幹が「新しいテクノロジーを外科医療に導入するためには有用性と安全性の確認,さらに従来のものより優れていること,医師が技術をマスターしていること,そして経済性の4条件が満たされることが前提である」と述べられている.そして北島副編集主幹は編集後記で故陣内伝之助先生から頂いた手紙を引用されて「小説でも映画でもよいものは10年経っても残っている.むしろ20〜30年経ったものを読めば必然的にフィルターで選抜された良いものだけを読むことになる」と書かれている.各巻興味深いテーマのもと一流の執筆者による最新の情報提供が会員の知識技術の習得に大きく役立ったと自負している.
小職が担当した2008年第21回総会(第11回世界内視鏡外科学会合同開催)で参加者が3,400名を超え,インターネットの発達で最新の学術情報の取得が容易になったこともあり,2010年第15巻より本来の学会機関誌の目的である会員からの一般投稿のみへと舵を切った.おかげで一般投稿も多く採用率も30%と比較的良質の論文を掲載できている.学会参加者も2012年松本純夫会長の際4,000名を,さらに2014年山下裕一会長のもとで5,000名を超え,そして今回の2015年,松田公志会長が素晴らしい企画とプログラムで過去最高の3,286の演題と6,000名を超える参加者を迎えられた.益々,学会が発展していることは大変喜ばしい.今回で小職が理事長退任ということで理事長講演を依頼され「25年の歴史を振り返り将来に期待するもの」と題して講演させていただいた.その最後に内視鏡外科の父であるP. Mouret博士の生涯最後の講演の司会を担当したものとして,彼の遺言ともいえる言葉を紹介した.「My dream is deeply rooted in the surgical dream. My dream is that “fundamentalism” disappears from surgical mindings」
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