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懸命にACLSを行うも時は流れ,心肺蘇生はならず。患者の顔貌は刻々と蒼白を通り越して土気色に,手も氷のように冷たくなってきた。場を読み,付き添う家族のなかで,関係が近く分別の確かそうな者を夫と見定める。「万策,手を尽くしましたが,もう脈はなく心臓は止まり,呼吸もありません。瞳孔も開いて反応がありません。誠に残念ですが」と言いつつ,平坦な心電図モニターへ視線を促す。すでに覚悟を決めたらしい夫が無言でうなずく。おもむろに,「では」と引導を渡しかけた途端,彼から質問が。「心臓が止まっていることはよくわかりました。ところで,意識はあるんでしょうか?」。全然わかってないじゃないか!?
それほど,一般に“意識”への想いは強いようだ。生物としての生死とは別に,魂の棲み家,人格の証が意識なのだろう。形而上なのだ。さらに,TVのニュースは「2名は“意識不明の”重体,2名は大けが」と告げる。つまり重症度のクライテリアも,世間ではもっぱら“意識の有無”の一点に尽きるらしい。それは,「意識は重症度指標の一要素にすぎない」とする救急医の見方とは合致しない。極端な場合,Ⅲ度100%,性別すら判別困難なほどに全身黒焦げ,ほぼ瀕死の重症熱傷でも,一酸化炭素中毒がなければ,患者に(悲惨にも)「意識はある」こともあるのだ。そもそも,意識は「ある/なし」という1ビットの情報では決してない。
そうは言っても,「急速に進行する意識障害」はまぎれもなく緊急度第一級の病態であり,脳神経外科的手術適応なら,一刻の猶予もない。医療スタッフの交感神経も緊張する。「あ,瞳孔不同が出てきました!4ミリ,2ミリ!」ナースの声があがる。エレベータを止めろ。手術室へ急げ!
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