研究室から
私たちの教室—九州大学医学部生理学教室
問田
pp.367
発行日 1956年8月15日
Published Date 1956/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425905906
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九大医学部の門をくぐつた人は,楠の緑も目にしむ広い構内に立派なコンクリート道路が通じ美しい芝生の中には三階だてのビルが立ち並ぶのを見るだろう。ところがずつと奥にはいると,これらとはおよそ対照的なペンキははげ家根も傾きかけた木造の校舎が並ぶのに気づく筈だ。これが基礎医学の教室で,私たちの教室もそのなかにあるが,日露戦争の前(1903年9月)に建つたのだというから古色蒼然としているのも無理はない。
外見の古いのに応じ中にある機械器具も古めかしいものが多い。明治末期に買つたウイーン製感応コイルや大正初期のエーデルマン絃線電流計・ケンブリツジ製カイモグラフなど博物館行きのものが数々ある。これらを見ると教室の歴史も偲ばれるというもので,私たちの教室は1903年10月に創立,はじめ医化学の後藤元之助教授が兼担されたが1906年9月外国留学中の石原誠先生が帰朝,教授に就任されると同時に独立の教室として発足した。1918年6月には第2講座が増設され,イギリス留学中の板垣政彦先生が帰朝,教授に就任された。
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