教室めぐり・9
九州大学衛生学教室
猿田 南海雄
pp.522
発行日 1969年9月15日
Published Date 1969/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401203948
- 有料閲覧
- 文献概要
教室の沿革
明治36年に勅命第54号をもって京都帝国大学第二医科大学を福岡におき,京都帝国大学福岡医科大学と命名することが決定されてから本年で69年になり,翌37年に勅命第151号をもって衛生学講座が新設されて初代教授として宮入慶之助先生が任命されたので,わが衛生学講座が誕生してから今年は68年に当たる.当時全九州の政治,教育,交通,貿易の中心は長崎および熊本であったので,この決定をみるまでには,この帝大誘置のために3県の間に猛烈な競争が展開されたことは当然であるが,福岡県は現在のわが医学部の敷地である96,000坪におよぶ広大な千代の松原を無償提供することによって強豪二県を抑えて勝利を獲得したわけであるが,そのためわが大学敷地内にはその昔大公秀吉が朝鮮征伐の時,茶聖千利久をして点茶せしめたお茶掛けの松が遺跡として保存され,無言のうちに昔を物語っている.
初代宮入教授は人も知る寄生虫学の大家であったが,宮入教授が停年退職後は大平得三先生がその後を継ぎ,代々寄生虫学を専攻された.大平先生退職後は大坪,水島,宮崎の3教授がそれぞれ一時衛生学講座の教授となったが,昭和26年に不肖猿田が衛生学講座の専任教授となって現在に至った.その間わが衛生学講座は3回の分娩を行ない細菌学,公衆衛生学,寄生虫学の3講座の分家を作るという輝かしい歴史を造った.
Copyright © 1969, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.