巻頭
研究と史的展望
杉 靖三郞
pp.49
発行日 1952年10月15日
Published Date 1952/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425905671
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科學研究に從事している者にとつて,その史的展望をもつことはあまり用がないと思うかも知れない。しかし科學は,たとえば生理學についていえば,それは長い生命の科學の史的展開の結果であり,生理學の研究をする者は,現代における生理學の一點に立つて,過去を完成し,未來を創造すべき任務をになつているのである。この意味において研究に沒頭する者も,時あつて,その自己の携わる分野の史的展望に立ち,自己の進むべき道を正して行かなければならない。
なべて科學の進展は,偶然におこつて行くのではない。そこには,常に錯誤と眞實との交錯する史的背景をもつ。學會の進展の方向を豫見し,自己をそれに適應させて文化史的な役割の一端をになうためには,歴史的觀點に立つよりほかにはない。學術の歴史はよく考えあやまられているように,學術そのものにとつて決して風馬牛ではないはずである。けだし學術の進歩とは一つの新しい眞理を見出し,これを過去の眞理と對決させさらに將來の事實を豫言することにほかならない。今日,不動の眞理と思われるものも,大雨によつて出來た水たまりのごとく,やがては消え去つて跡形もなくなりあるいは後には細い一條の清流がのこるばかり,というようなことがあろう。しかし,動かしがたいのは,歴史的眞實としてのこの細き流れである。流れに没入するものも,時あつて,その生命の流れの來し方,行く方を展望する必要はそこにあるのではあるまいか。
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