巻頭言
日本人の研究に思う
高木 康敬
1
1九州大学
pp.161
発行日 1965年8月15日
Published Date 1965/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425902632
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外国ではいたるところで日本人留学生がすばらしい活躍をしており,多くのすぐれた研究に中心的役割を演じているのに全く驚かされる。なかでもアメリカはこの状態が極端で研究室がユダヤ人と日本人に占領されたと嘆く人がいる程である。ところがこのように優れた研究者であるはずの日本人の国内における研究はあまり芳しくない。「日本人は研究のextensionには長じているが,revolutionを期待はできない」ということをしばしば耳にする。もちろん我が国にも独創的な研究はあり,それらは海外でも十分高く評価されているが,全体としてはやはりこの評を残念ながら受け入れざるをえないし,外国での活躍も大部分は優れた学者の許で単なる実験の手としてにすぎないのかとさえ思われる。
生化学の歴史をみても欧米では分析を主とした古典生化学の基礎が作られその上に動的な酵素化学が発達してきた。そしてそれが確立された後,分子生物学というように一つの流れとなつて学問が発展してゆくのにくらべ,我が国では先に酵素化学をむかえて驚かされ,それを十分消化できないうちに,今また新たに分子生物学を入れる。これではおそらく何年かして分子生物学を完全に理解しないうちに次の新しい学問をまたとり入れねばならないかと案ずるし,このように完全に自己のものを打ちたてることなく,次々とその時代の尖端を輸入するのであれば追随のみに終始して外国との差は大きくなるばかりであろう。
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