醫藥隨想
日本人と迷信
叶澤 淸介
1,2
1文部省迷信調査協議會
2長野懸立圖書館
pp.271
発行日 1951年12月15日
Published Date 1951/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401200971
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迷信という語は小學校一年生でも知つていて概念は掴んでいる。しかしこの語位不確かで定義付けられないものも餘り多くないだろう。迷信の定義はしばらく措くとして,いわゆる迷信的なことを文明開化のこの御時世に,口にしたりすると小學生でさえ鼻の先で笑いかねないのであるから,まして,大人の,そして科學の世界に住んでいる人にはむしろ死語であるべきはずである。それにもかかわらず,眼くじら立てて迷信と取組んで見たり,われわれの日常生活が,それに禍いされずに過せないというのはどういうものだろう。馬鹿にしていながら,それと全くかけ離れてわれわれの生活がおし進められないところにわれわれ日本人の生活の悲劇があり,迷信の摩か不思議さがある。
堂々たる寺院の中におびんずるさんがでんと御座あつたり,東京のど眞中に一流の博士も治癒できなかつた病氣を御所祷によつてなおしたと稱して―あえて稱したと言う。治つたかどうかは私自身見たわけではないから―隆々とはやつている店もある。それは一流のお醫者さんでも治せなかつた病人があつてもいいし,それがおいのりによつて治つても少しもさしつかえない。それはおいのりそのものによつてのみ治つたものでないことだけは確かであるから。ただ科學者が科學的生活をうちたてたいと心がけながら,友引の日に葬式が出せなかつたり,結婚するのに日のよしあしなど押しつけられなければならない世の中は何と忌々しいことではないだろうか。
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