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21世紀に入って既に8年が過ぎて今年はもう9年目である。10年ごとに目覚ましい進歩を刻む生命科学の急速な流れの中で,脳の研究はどのように進んでいるのだろうか。この約10年間の脳科学の進歩を概観すると,本特集の標題に謳ったような3層の構図が浮かび上がってくる。脳の研究は分子からこころまでの多くの階層にわたっているが,遺伝子,脳回路,行動はその代表的な中間的階層である。各階層での研究にはそれぞれ独自の方法論と技術が必要であり,今日まで,各階層ごとに独自の発展を遂げてきた。つまり,遺伝子と脳回路と行動の各階層ではお互いに無縁のまま研究が進んできたといっても言い過ぎにはならないだろう。しかし,それらの進歩の足並みがかなり揃ってきた今日では,それらを貫通してつなぐことが必要であろう。それは決して容易なこととはいえないが,そのような強い機運が醸成されてきたということがこの10年間の特徴的な出来事のように思われる。
そのような時代の流れを念頭におきながら,本特集では,標題にいう三つの代表的な階層をつなぐ最近の目覚ましい知見を集約することを試みた。遺伝子のレベルでは,2000年にヒトゲノム計画が終了しポストゲノム時代に入った段階で,果たしてそれが脳の研究にどのような新たな展開をもたらしつつあるかに焦点を当てた。それに応えて,八木健氏は遺伝子研究の進歩から脳の形成,行動制御,進化,多様性など広範な問題が新たに展開しつつある現状を概観し,ヒトの脳に導いた進化のシナリオを論じた。また,桃井隆氏はFOXP2遺伝子を手がかりとしてヒト言語機能の発現と障害の分子基盤に鋭く切り込んだ。平井和宏氏は脳疾患の遺伝子治療について最近の基礎研究の進歩を展望して,近い将来への大きな期待を述べている。多数の神経細胞から構成される脳回路は脳が情報を処理する仕組みの実体であるが,多彩な可視化技術,遺伝子操作,薬理学・生理学的手法,計算論的手法の進歩により,このレベルでの進展もまた目覚ましいものがある。川口泰雄氏は徐波の生成を中心に大脳回路の動作の仕組みを論じ,山本隆氏は味覚系,坂野仁氏は嗅覚系について,遺伝子,神経回路,行動をつなぐ最近の目覚ましい進歩を集約した。本号の連載講座における澁木克栄氏らの大脳皮質感覚野の経験による修飾についても合わせてお読みいただきたい。こうして脳の神経回路の解析が進む一方,その働きを理解するためには非生物系にもひろく類似を求めて探索することが重要である。大規模な複雑システム,あるいはインターネットのような膨大な通信システムの原理が脳の仕組みの理解にヒントを与える可能性は決して少なくない。本特集では長谷川幹雄氏にそのような議論を展開していただいた。
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