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2002年にI. Mansuyらのグループは,前脳におけるタンパクホスファターゼ1(PP1)の活性を,その内在性抑制タンパク(Ⅰ-1)の誘導的発現を通じて随時に抑制できる遺伝子改変マウスを作出し,新奇対象の認知試験や水迷路学習試験を行ったところ,PP1抑制マウスで記憶の保持率が数週間にわたって有意に高いことを見出した1)。PP1抑制を訓練以後に行っても同様の結果が得られるので,これは,記憶の獲得効率が上がったためではなく,消失率が下がったためであると解釈でき,PP1は「忘れさせタンパク質(forgetting protein)」であると提唱した。つまり,忘却は記憶の自然減衰ではなく,ホスファターゼが積極的に消去を行うことでなされているというわけである。もしこれが正しければ,老年痴呆などにともなう記憶障害に対する新たな治療法の開発につながる。これより先(2001)同グループは,別種のタンパクホスファターゼ(PP2B,別名カルシニューリン)の発現を随時に抑制できるマウスを作出して,記憶の獲得効率が増す,という結果を報告している2)。このとき記憶の保持率の方は変わっていなかった。同じいい方をすれば,PP2Bは「覚えにくくしタンパク質」ということになる。
これらの結果は,この中で閉じて考えるかぎり,わかりやすいきれいな実験結果といえるが,現在,哺乳類脳の記憶のモデル現象として広く受け入れられている,摘出海馬皮質の切片標本での長期増強現象(LTP)と長期抑圧現象(LTD)の細胞内機構について行われている仮説と対応させて考えると,実は合うようで合わない。まずその通説を説明しよう3)(図1;異説は多数あるが,この小論では触れない)。
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