連載 技法=以前・9
「熱心に聴く」医療者と「聴かれた実感」のない当事者
向谷地 生良
1,2
1浦河べてるの家
2北海道医療大学
pp.108-113
発行日 2008年7月15日
Published Date 2008/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1689100532
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復習編:「聴かない」という聴き方について
前回にひきつづき、精神保健福祉の現場にいながらひっかかりを覚えていた「聴くこと」の形骸化と、当事者の求めているニーズとの微妙なズレの問題について述べていこうと思う。
前回は、「聴かない」ことの大切さという視点から、具体的な聴かない実践例を含めて紹介した。統合失調症による罪業妄想をかかえた女性が自罰行為として頭部へのバッティングをしようとした際に、私が行なったのは傾聴ではない。幻聴の支配から脱却して、現実の仲間とのつながりの優位さを取り戻すための「共同作業」として、あえて当事者が参加を渋っていたミーティングに一緒に“走り出す”ことであった。この場面にすべてが集約されている。
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