連載 認知症と仏教・第6回
聴いて聞こえる
日髙 明
1,2
1NPO法人リライフむつみ庵
2相愛大学
pp.584-585
発行日 2020年6月15日
Published Date 2020/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.5001202128
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ケアする人は聞く
認知症高齢者のグループホームで働きはじめて,ベテランスタッフたちの入居者へのかかわり方に驚いた.彼らは,入居者をサービス提供の対象者としてよりも,親しみ深い身内のような存在としてみているようだった.そして,重度の認知症のために一見すると何の意思表示もしていないような寝たきりの方とも,あたかもコミュニケーションができているかのように接していた.彼らは,相手の身体に表れたごくわずかな変化を,相手からのメッセージとして,声ならぬ声として,聞き取っていた.どの職場にも,こういう熟練のスタッフが一人はいるのではないか.ケアの現場ではしばしばあることだと思う.
交通事故による重度の脳損傷のために植物状態となった患者について,プライマリー・ナースとして患者を担当していた看護師が,次のように言っている.「『住田さんとどの程度コミュニケーションがとれてたと思う?』って言われたら,やっぱりうまくは言えないけど,なんだろう,目を見たらなんとなくこっちの目と視線が合うような気がしてたんですよ.なんとなく視線が.……(中略)……こうある瞬時で,なんかこうやっぱり〈視線がピッと絡む〉みたいなところはあるような気がする」(西村ユミ『語りかける身体—看護ケアの現象学』ゆみる出版,2001).
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