連載 当事者研究・21
「サトラレの研究」 “サトラレ”から“サトラセ”へ
吉野 雅子
1
1べてるしあわせ研究所
pp.74-77
発行日 2005年9月1日
Published Date 2005/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1689100147
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1.はじめに
自分の殻に閉じこもらないで、希望をもって、本音を話し、一緒に相手の気持ちをわかち合いたい――そう願いながらもだんだんと人から離れてしまい、孤立する毎日。短大に通っていたときには特に大変だった。バスや地下鉄に乗っても「自分の声が聞こえているはずなのに、まわりは知らないふりをして平気な顔をしている」という気持ちにとらわれて、途中で降りてしまったこともあった。
自分のなかで沸きあがってくる人に対する悪口、罵倒する声が、そのまま周囲に伝わってしまう。相手の心を傷つけているような罪悪感と、短剣で自分の胸を刺すようなその恥ずかしさといたたまれなさで、ますます引きこもる状態を繰り返していた。そのつらさを「だれにもわかってもらえない」という圧迫感のなかで、ひたすら耐えていた時間が長かった。
そんななかで、縁あって浦河で暮らすようになって2年が経とうとしている。浦河では、無条件で受け入れあえる仲間がいる。「自分と同じ体験をもっている人がいる」ということを知っただけでも奇跡だと思った。別の言い方をすると「空気」の違いである。どんなに“吉野雅子”がひどくても、その場に居続けられる。その安心感のなかで、言葉にすることの大切さを知ることができた。現実の仲間とのふれあいを通じて、サトラレという苦労も違って見えてきている。
このたびは、吉野雅子がいちばん苦労してきたサトラレを仲間と語り合いながら研究し、そこから新しいサトラレの可能性を探った。
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