巻頭言
研究の効率か研究の自由か
黒住 一昌
1
1群馬大学内分泌研究所
pp.197
発行日 1971年10月15日
Published Date 1971/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425902899
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燎原の火の如く全国を風靡した大学紛争の中で,改めて「大学の自治」の意味を考えさせられたものである。いうまでもなく「大学の自治」は「学問の自由」を保証するためにとられた必然的施策に他ならない。大学における「学問の自由」は「教育の自由」と「研究の自由」であるが,この二つの自由は決して切り離せるものではない。研究の自由が護られない所に,教育の自由は保証されない。教師も学生もともに真理の前には等しく学ぶ者として起ち,良心と真理の指し示す所にのみ従つて,いかなる政治的圧力にも抗し得る時,はじめて「学問の自由」が守られるのである。
紛争の中にあつて学生も,教師もともに「大学の自治」を叫んだが,同時にわれわれの耳を打つもう一つの声は,「研究の指向性」である。『お前は何を研究しようとしているのか』という問いかけが,しばしば研究者であるわれわれに浴びせられた。『研究は趣味ではない。』『一体誰のために研究しているのか。』 という詰問がなされた。学部はともあれ,大学に置かれた研究所には,みな法規に定められた設立の目的がある。だからといつて,大学に保証された「研究の自由」を超えて,ひとりひとりの研究の内容を規制すべきだろうか。たしかに効率よく研究の成果を上げるためには,命令一下ひとつの目標に向かつて,衆知を集めるのがよいにきまつている。
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