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1.はじめに
僕の自己病名は「不安発作爆発攻撃型・統合失調症救急車多乗タイプ」です。
べてるとの出会いは、5年前にフリースクールのスタッフらと一緒に浦河を訪ねたときでした。その後2004年の夏前に、病院の主治医の先生とうまくいかず、幻聴さんにも困るようになりました。べてるの向谷地さんに相談すれば助かるのではないかと、思い切って104で電話番号を調べて夜、自宅に電話をしました。今はよくなってきている感じもしますが、この頃は、精神的にも体調的にも悪くなっていて、フリースクールとの関係もギクシャクしていました。そのとき向谷地さんに電話して教えてもらったのが、べてるの仲間が使っている「幻聴さんへの対処法」でした。
幻聴さんで一番困っていたことは、救急車に乗ってしまうことでした。散歩をしているあいだにも「救急車を呼べ! 119番通報しろ!」と命令系の幻聴が入ってきます。救急車には、この15年で300回ほど乗ったと思います。多いときには、1日4回、月20回は乗りました。救急車を呼ぶのは、幻聴さんのせいばかりではなく、不安発作が始まるからです。そうなると「病院に行きたい、病院に行けば治る」という安易な気持ちから呼ばずにはいられないのでした。
病院に行っても、応急処置をされて帰ってくる状況でした。救急車を呼んだ一番早い時間は、午前2時に家の近くの公衆電話からでした。帰ってきて、午前4時にまた救急車を呼んで、家のベッドについたのは午前6時でした。今思えば、「不安発作だ、病院に行かなくちゃ」という異常行動にかられていました。しかし、対処方法を教えてもらってからは、幻聴さんが来たときは幻聴さんに怒るのではなく、丁寧に、「今日は僕はやりたいことがあるので、お帰りください」と伝えると、薬よりも何よりも効いてピタッと幻聴さんが止まりました。
2004年8月に両親と僕と3人で、横浜からべてるの家に飛行機で向かいました。浦河で向谷地さんとホテルのレストランで会って話を聞いてもらい、本格的にべてるとつながったのです。そこで「一緒に研究を始めよう」ということになり、電話をいつでもかけてくれていいよと言われ、電話番号などを教えてもらうと、それだけでかなり安心しました。
1年が経って講演にも行くようになりました。そこで今回は、みんなに薦められて「救急車の乗り方」の研究として、今までの苦労をまとめてみました。
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