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1.研究の出発点となる実感について
美濃さんから、「がんを併発した精神疾患患者の看護」というテーマに取り組んでみたいと聞いたとき、大変だけれども大きな仕事になるだろうな、と思いました。もっとも、美濃さん本人は、がん看護と精神科看護という2つの領域をいずれも大学院で学び臨床も経験しているせいか、このテーマへの取り組みはあまりにも自然で、大変さも重大さも実感していない様子がうかがわれました。
私の感じた大変さは、この研究テーマが看護界にとって長年の懸案であり、今も解決が極めて困難な課題に関連していることに由来していたようです。多くの看護師や医師が、がんを併発した精神疾患患者への適切な処遇に困難を覚え、現状を打開するための努力や工夫を重ねてきた経緯があります。しかし満足のいく結果は出せず、美濃さんと同様に、不全感や無力感を抱えているように思われました。ただし、あらゆる看護研究は、臨床現場で体験され実感された困難に根ざしてこそ有意義なものとなるはずです。たった1つの研究によって現状を打破することは望めないかもしれません。でも、患者を苦痛から救うことの困難さの実感に根ざす研究は、何らかの形で臨床に還元できるはずなので、美濃さんの研究には期待したいと思いました。
私自身も、臨床の現場にいた頃、「子宮のなかで蛇がとぐろを巻いている」との訴えがきっかけで子宮がんが発見されたものの、すでに末期だった統合失調症の患者さんのことが今も心に引っかかっています。美濃さんの体験してきた困難さや無念さは、研究成果を挙げるには不可欠の粘り強い取り組みを可能にするように思われました。
ただし、看護実践をめぐる困難や苦悩に起因する臨床家としての実感を研究成果へと結実させることは、決して容易ではありません。実感という主観的な体験の奥底を探り、客観性や普遍性を備えた結論にたどり着くためには、長く困難な行程を要します。そんな面倒なことを考えるよりは、実感へのこだわりはほどほどにして、既存の研究が取り上げているテーマの延長線上で、データの収集や処理が容易な課題にあたりをつけたほうが結果は出しやすいかもしれません。しかし、臨床家としての実感とは、現実の本質に触れたという手ごたえであり、それは研究への取り組みの糸口を示すと同時に、データの信頼性や解釈の妥当性を裏づける重要な根拠ともなります。つまり、臨床研究にとっては、研究者の臨床家としての実感が出発点であり、導きの糸であり、また到達点でもあるわけです。
そうはいっても、実感という主観的な体験を活用しながら、普遍性と説得力に富んだ研究をまとめ上げていくことは決して容易ではないため、それなりの方法論が必要になってきます。
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