生命輝かせて―臨床医としての真髄を求めて・2
感動いっぱい いのちいっぱい
有働 尚子
1
1みさき病院神経内科
pp.128-133
発行日 1999年2月15日
Published Date 1999/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1688901938
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まわり道も成長のうち
私の“唯一の味方”であった祖母は持病の高血圧のために病院通いを余儀なくされていた.もし,自分が医者になれば彼女と2人で心安らかに暮らせるとの思いから,私はものごころついた頃から医者になることばかり号えて日々を過ごした.初心貫徹ということになるのだろうが,葛藤に満ち満ちた疾風怒濤の思春期を何とか切り抜け,祖母の存命中に国立大学の医学部へ合格することが出来た.
医師の仕事を患者サイドから考えた場合,命を助ける職種としては外科医が真先に頭に浮かぶ.不思議と幼い頃より出血や解剖図などにも抵抗はなかった,しかし,学部が進むにつれ,外科という科目が学問という観点からはあまりにも閉鎖的(糸結び1つにしても学派があるなど)で,若い発想に対して保守的な領域であるような印象を強く受けるようになった.さらに,当時は更衣室や当直室などの枝葉末節の問題で,女医の入局は喜ばれない風潮が強く,卒業間近になったころには,ヒトとしての最高中枢である臓器<脳>およびその真髄である<心>を専門とする精神科に憧れを抱き始めていた.
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