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はじめに
昨年の大晦日の夜,ぼくの往診車は四万十川の堤防を走っていた。カーラジオからは紅白歌合戦が流れている。ラジオで紅白を聴くのは新鮮だった。何十年ぶりだろうと思いつつ,真っ暗闇のなかの四万十川に目をやった。堤防だからガードレールはなく,看取りのあとのたかぶりもあって,ちょっと恐ろしかった。
12月31日は休日当番日。平日並みの慌しい診療を終えて,夕方になにげなく小野さんに電話を入れた。小野さんは86歳。糖尿病で長く通院を続けていた。偶然見つかった胸部写真の異常な影を,総合病院に紹介した。1回受診しただけで病院での治療は受けないと,またぼくの診療所に帰ってきた。肺癌だった。
小野さんは以前から不安が強く,「入院には耐えられない」という。本人,家族の希望は「最期まで在宅で」だった。呼吸が辛くなって,週1回の訪問診療が始まった。先週に訪問したときには,ふらふらしながらも小野さんはわざわざ玄関まで見送ってくれた。
「意識ははっきりしません。呼吸はしっかりして,大丈夫です」,休日当番日の診療を終わったぼくの電話に,家族は冷静に言う。今年中にもう一度訪問しておこうと,軽い気持ちで往診に向かった。家に着いてびっくり。小野さんは,下顎呼吸をしていた。
形どおりの診察をして,家族と話を始めた。血圧も測れたし,脈もしっかりしていた。下顎呼吸だけが気になるところだった。これからの見通しを話そうとしたところ,小野さんの呼吸が不規則になった。そして,あっという間に止まった。家族は慌てる様子もない,穏やかな最期を迎えた。
「先生を待っていたんだ」,家族からの言葉だった。こんなことは珍しくない。外来の診療が終わるまで待ってくれている最期,通常の診療に引っかからないような明け方の最期,そしてたまたま訪問したときの思いがけない最期。いのちの最期にはメッセージがある。
小野さんのお隣,真っ暗な畑の向こうの家が,2年前に看取った患者さんの家。その家族が訪問看護ステーションに勤めている。ぼくは暗い畑のこちら側から,「さっちゃん! 死後の処置を一緒にしてくれないかなあ」と,大きな声で呼んだ。ここが田舎のいいところ。訪問看護師の幸子さんが快く引き受けてくれて,彼女を中心に死後の処置をした。
帰り着いたぼくは,しばらく家族に今日のドラマを話して,紅白歌合戦の途中で眠ってしまった。平成20年は,そんなかたちで終わった。
ぼくの日常のなかに在宅死があり,在宅医療がある。かかりつけ医としての診療をしながら在宅医療をする,それが自然な形になった自分を強く感じる年越しになった。
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