連載 かれんと
生者の都市と死者の都市
古茂田 宏
1
1一橋大学社会学部
pp.297
発行日 1996年5月10日
Published Date 1996/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686901947
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数年前,金沢の町を歩いたことがある.浅野川と犀川に挟まれた中洲の中心にはかつて加賀百万石を誇った城跡(現在は金沢大学)があり,その堂々たる正門に面してあの兼六園が控える.これを取り巻いて白壁の武家屋敷町が広がり,さらにその周辺は町人たちの居住区だったのだろうか,今では洒落たブティックや飲食店街がにぎわいを見せている.米軍の爆撃を例外的にまぬがれた金沢は,江戸時代の都市の骨格をそのままに残す生きた博物館にも見えて,それは楽しい経験だった.
だが私にとって最も印象的だったのは,こうした都市の中心部より,それを挟む2つの川の外に広がる光景であった.犀川の外には西の廓(くるわ),浅野川の外には東の廓という旧遊廓(現在は跡のみ)があり,その背後には寺院が密集する寺街が広がっていたのだ.寺というのは,まずは墓地のことである.墓地を無駄な空間というのは乱暴な話だが,現代的な物言いからするなら,江戸時代の人々は当時の慎ましいGNPの半分以上を非生産的な空間につぎこんでいたことになる.
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