My Challenge
ホスピス病棟を開設して1年
金井 昱子
1
1救世軍清瀬病院
pp.65
発行日 1991年3月15日
Published Date 1991/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686901799
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40歳で女児に恵まれ育児退職までの18年間,教職を含めて,つかず離れず臨床看護を経験し,患者の側に立ったものわかりのよい看護婦と自負していた.子供が1歳の頃,夫の3年半にわたる闘病生活が始まり,兄弟,義母の援助を受けながらも,看病と育児の生活は厳しかった.生命の危機が何度も訪れ,泊り込む日が続く中で,私の看護観に変化が現われた.家族の立場からは,知識や技術以上に,人間性に理想像を見た.それは控え目でいながら患者の気持に添ってくれる人,「お願い」と言う前にタイミングよく声をかけてくれる,気働きのある人,心底やさしい人であった.
夫との別れのあと,幼な子を保育園に預けて再出発した私は,今度こそ,家族の痛みを知り,共に生きることのできる看護婦でありたいと思った.はじめての整形外科病棟は新鮮で,日々の学びは楽しかった.しかし慣れるに従って,分刻みの仕事は手術患者優先で,一番看護を必要としている人を押しやる結果となり,時間内で応じきれない空しさが,わだかまりとなっていった.
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