連載 公立富岡総合病院・青木孝子―その人と実践・3
若き総婦長・はじめての試練
林 千冬
1
1群馬大学医学部保健学科
pp.998-1003
発行日 2001年12月10日
Published Date 2001/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686901359
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大学病院から富岡厚生病院へ
異例の大抜擢
1972(昭和47)年4月,30歳になったばかりの青木は現在の公立富岡総合病院の前身である富岡厚生病院の総婦長に着任する。群馬大学医学部附属病院の手術部主任から,婦長経験のないままの異例の転職である。「若さの点でも"飛び級"でも,当時としてはとても珍しいことでした」と青木自身も語っている。
当時の富岡厚生病院は,すでに青木の前に2代続いて総婦長を外部の病院から招聘していた。先代の総婦長の退職にあたり,青木に声がかかった直接のきっかけは,青木を知る大学附属病院の元総婦長の推薦にあったというが,他にも,青木が富岡の出身であったことなども影響したようである。当時の副院長(現院長・柴山勝太郎・群馬大学医学部出身)はじめ,大学附属病院での青木を知っていて,後押しした医師もいたのだろうと言われているが,いずれにしても,大学病院時代の青木の仕事ぶりが評価されたがゆえの"大抜擢"であったことは事実であろう。
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