ひまわり
現場を離れて約1年の思い
鈴木 小津江
1
1前 筑波メディカルセンター病院看護部
pp.360-361
発行日 1997年5月10日
Published Date 1997/5/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686900643
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60歳になり,現場を離れんとする時の思いは,「うん,不十分かもしれないけれど,これで看護は卒業させてもらおう」だった.そのため,現職の頃に約束して残っていたことを済ませた後,次の課題「いかに老い,いかに死すべきか」にスコーシだけ取りかかってみた.ところが,老いも死も何のことはない,看護そのものであった.違うとすれば,「対象(クライエント)の問題」としてではなく,「自分自身の問題」としてであるということだけだ.「だけ」と表現してはみたけれど,この違いは小さくない.だから私は今,立場や役割ということの葛藤と矛盾の中にいる.
たとえば,私は老人ホームの住人なのだが,住人になりきれないところがある.ある住人が,あるヘルパーを指して「あの人よ,意地悪なのは」と教えてくれる.でも私は思ってしまうのだ.「ホントかな,あなたの中に意地悪を誘うような言動があったんじゃぁないの? ヘルパーのみなさんは,よくやっていらっしゃると思うけれど」と.それで,それを口にしてしまって後悔しているのだ.ここにはナースも働いている.支えがなければ倒れてしまいそうな人をかばいつつ,館内のレストランに誘導する姿に出会ったりすると,「病院ではここまではしなかったなぁ,でもこうでなくっちゃ」などと思っている自分がいたりするのだ.
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