増刊号特集1 東日本大震災への医療支援の記録
日本赤十字社の取り組みと被災地からの報告
―相馬市,川俣町,二本松市へ―初動班は被災者を残して移動を余儀なくされた
赤井 信太郎
1
1長浜赤十字病院
pp.640-642
発行日 2011年7月26日
Published Date 2011/7/26
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686102125
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派遣先が何度も変わる
3月11日14時46分,大きな横揺れの地震が発生,津波で流されている家屋や車の映像を病室のテレビで患者とともに見た。信じられないような悲惨な光景だった。長浜赤十字病院(以下,当院)では,16時過ぎに医療救護班の出動命令が出た。私は,第1班救護班(医師2名・看護師3名・主事2名)の看護師長として出動要請を受け,個人装備を準備し機材搬入後,東北に向け出発した。
移動経路は地震の影響が少ないと考えられた北陸自動車道経由で,まず新潟へと向かうことになった。現地といっても東北沿岸部一帯のどこなのか,日赤滋賀県支部から指示される派遣先は宮城県,新潟県,盛岡市,福島県,相馬市と何度も変更があり,混乱した状況であることが理解できた。日赤新潟県支部を経由して,福島県相馬市に向かうこととなった。
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