連載 医学のエコーグラフィー・5
「歯型」
橋本 一径
pp.896-897
発行日 2009年9月10日
Published Date 2009/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1686101580
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その火災は,1897年5月4日,シャンゼリゼに程近いパリのジャン=グジョン通りの,慈善バザー会場で発生した。午後4時ごろ,会場の一画に設置されたシネマトグラフの映写装置から火の手が上がり,急ごしらえで建てられた木造の建物は,たちまちのうちに炎につつまれた。150人近くの死者を出す大惨事であった。
1885年以来定期的に開かれてきた慈善バザーは,収益を傷痍兵の救済などに寄付することを目的に,上流階級の篤志家らが,自らの持ち物を売りに出す場であり,名家の子女たちが来客として詰めかけた会場は,一種の社交場だった。火災の犠牲になったのも,大半が貴族やブルジョワ階級に属する人間であり,しかもそのほとんどが女性だったこともあって,事件の衝撃は大きく,新聞各紙は連日この出来事をトップで伝え続けた。男たちが女性を踏みつけるようにして逃げ出したという噂が広まり,スキャンダルを呼び起こす一方で,近隣に居合わせた労働者たちが,危険を顧みずに救助にあたったことが讃えられた1)。女性たちが逃げ遅れたのは,コルセットに身を固めた動きにくいファッションが一因であるとも言われている2)。
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