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本書の書名でもある『ヘルス・エスノグラフィ』は,医療人類学を専門とする著者,道信氏が,保健・医療・福祉系の教育や研究活動に携わる中で生まれた知見を体系化した,新しい質的研究の方法論である。それゆえ,著者が行なった調査,例えば「離島の子どもの身体観・健康観・医療観と医療環境とのかかわりに関する人類学的研究」などの実例が多く挟まれ,方法のレッスンを受けているような感覚で読み進めることができる。最終章では,著者による16余年のタイでの調査であり,本方法を生み出すきっかけにもなった「企業におけるHIV/AIDS対策の推進」が紹介される。著者は,この研究と重なる時期から,自らの研究の軸を医療や生命にかかわる内容へと転換させた。その中で,古典的な人類学とは違った,フィールドの課題の特徴や研究成果の還元までのスピードを体感し,人間の生命を尊び,健康と幸せを希求するもう一歩踏み込んだ行為や活動が研究に含まれること,そして,現場の人びととの間で課題と目標を共有することの必要性を考えさせられ,本方法の提唱に至る。
何よりも著者がこだわるのは,人類学の伝統でもある「世界の人びとが生きている場」「生命と周りの地(環境)」である「フィールド」に入り込み,そこで共に暮らしつつ考え,「生」を統合的に記述することである。フィールドワーカーは,「世界の健康問題の全体を見る視点」と「(小さな)日常の出来事に関心をよせる視点」の両方をもち,専門領特有の解釈枠組みを自由な発想で外し,調査の「過程」で「メタモルフォーゼ(自己変成)」の経験をする。「研究者の態度や信念を内側から壊されるような感覚を伴う試練の場」としてのフィールドで考え,新たなものの見方を養われて初めて可能になるのが,ヘルス・エスノグラフィなのである。そのため,本方法は,過程であり成果でもあるのだ。
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