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はじめに
私が医療や看護などの社会制度に関心をもち,勉強するようになったのは,1996年の准看護婦(士)問題調査検討会による全国実態調査に関わるようになったのがきっかけだった。
1990年代半ばは,「キュアからケアへ」と謳われていた時代だった。インフォームド・コンセントという言葉が輸入され,慢性疾患を抱えて生きる患者へのサポートやターミナル・ケアが重要だといわれ,「生活の質Quality of Life」や「患者中心の医療」といった言葉がよく用いられた。医療提供者についても,医師が支配的になっている現状ではなく,看護職を含め多職種が患者を中心としたチームを組んでいくことが重要だといわれた。看護職は,医師の行なう「キュア」に対して,自分たちが担うのは「ケア」であるとし,専門職化を進めていた。
それから約20年が経った。振り返ってみると,インフォームド・コンセントはあたりまえになり,緩和ケア病棟は増え,看護大学は急増し,看護系学会も増えた。だが,当時想定されていなかったことも起きているように思う。ここでは,この20年の変化が何だったのかを振り返るとともに,今後の看護職が直面するだろう課題について考えたい。
なお,私は上記調査をきっかけに看護や医療に関する社会学研究に関わるようになり,1998年から三つの病院での看護職を中心としたインタビュー調査を重ね,同時に1997年から阪神・淡路大震災のボランティアへの継続的インタビュー調査に参加し,これらをもとに博士論文を執筆した(三井,2004)。その後,もう少し生活に近いところでのケア・支援活動に関わりたいと模索し,偶然に多摩市にある任意団体「たこの木クラブ」と出会い,2007年4月から継続的に通うようになった。
たこの木クラブは,現在は主に知的障害・発達障害の人たちの地域生活を支援する団体であり,親元を離れて支援つきの一人暮らし(一般に「自立生活」と呼ばれる。グループホームなど共同での暮らし方もある)の支援も担っている。障害名から入るのではなく,その人と向き合うことを重視する団体で,本人の自己実現・自己決定の支援をめざしている(詳しくは,寺本,岡部,末永,岩橋,2008;2015;三井,2011)。疾患名や障害名を重視せず,その人の暮らしの中身を大切にするという意味では,後述する医学モデルからは程遠く,生活モデルの極をいくようなところがある。以降で私が地域でのケアや支援に関して述べることは,こうした現場での経験に基づいている。
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