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1.はじめに
筆者は,看護師でも医師でもなく,現象学という哲学を専門とする一介の大学教員にすぎない。看護実践についてはずぶの素人である。けれども,縁あって15年余り前から現象学をベースにした看護理論や看護研究に関心をもち,看護系の大学や大学院,幹部看護教員養成講習会などで「看護の現象学」を主たる内容とする授業を継続的に行なってきた。また2009年からは,「ケアの現象学」をテーマとする科学研究費補助金の研究プロジェクトを自ら立ち上げ,現象学や看護学の研究者たちと共同研究を行なってきた註1。科研費プロジェクトやそれとのつながりで参加した臨床実践の現象学研究会註2では,看護現場での多くの具体的事例を学び,また2013年4月からは首都大学東京大学院人間健康科学研究科の博士後期課程で,本特集の企画者である西村ユミ教授が行なっている「看護哲学」の授業に非常勤講師として参加し,フッサール(Edmund Husserl, 1859-1938),ハイデガー(Martin Heidegger, 1889-1976),メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty, 1908-1961)の哲学のテクストを読み,西村教授および看護学専攻の院生たちとともに,看護の営みについて,看護学と哲学の双方の視点から考え議論するという貴重な経験もさせていただいている。
そこで本稿では,こうした筆者の経験を踏まえて,看護と哲学(とりわけ現象学)との関係について,いくつかのことを考えてみたい。まず,以上のような経験を重ねた哲学(現象学)研究者としての筆者の立場から,看護学研究者や看護実践家がほとんどと思われる本稿の読者に向けて,「哲学」がどのような学問であり,なかでも「現象学」という哲学がどのような特徴をもつのかを,筆者なりの仕方でごく簡単に概説することにしよう(第2〜4節)。その上で,看護実践の現象学的研究の優れた成果の1つとして西村ユミ氏(以下,西村)の新著『看護実践の語り─言葉にならない営みを言葉にする』註3を取り上げ,現象学という哲学が看護研究にどうかかわり,どのように活かされているのかを明らかにしてみたい(第5節)。しかし看護と哲学との関係は,哲学から看護への一方向的なものでは決してない。むしろ,こうした現象学的看護研究を通じて,哲学としての現象学自身も,そこから多くを学ぶことになるのであり,本稿ではこの点をぜひ強調しておきたいと思う(第6節)。最後に,看護と哲学の相互の学び合いによって,新たな「看護哲学」の可能性が開かれうることを,わずかなりとも示すことができればと考えている(第7節)。
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