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さまざまな状態に置かれている人々や自身の経験を問い直す際に,哲学・思想の諸視点が手がかりを与えてくれることがある。企画者はこれまで,現象学という現代思想から多くの手がかりを得て,看護の協働実践や彼らの看護師としての経験,病いや障害を患う人々の経験を探究してきた。併せて,現象学やケアを足場として組織された多学問分野の研究者との共同研究を通して,さまざまな哲学の考え方や視点が,私たちが自覚していなかった次元の経験に気づかせてくれたり,それ自体が“世界を見ることを学び直す”営みでもあることを知った。実際に,看護実践や患者の病いの経験は,素朴に理解していたこととは異なった意味をもって立ち現われ,時にそれに驚かされもした。例えば,看護師として私たちが成り立つのは,ケアを受ける患者という他者の存在に依存していること。自己は,他者との接触において,他者がそれとして知られるのと同時に,浮かび上がること。自己は,個として成り立つ以前に,相互主観性という社会性として成り立っており,これに支えられて理解が生まれるということ。何かがわかることは,何かができることと対になって成り立っていること,等々。
さらに,このような取り組みを通して,哲学との関係を問い直すことにも思考を巡らせてきた。そして,次のように考えるに至った。経験を探究する研究は,その目的を達成するために哲学を手がかりとする,という方向性をもっているばかりではない。具体的な事象は,哲学の考え方に支えられてその成り立ちを露わにするが,同時に,その哲学的な考え方は,具体的な事象の記述の中からも発見される。つまり,具体的な事象と哲学は,このような相互補完的な関係をもっているのであり,だからこそ私たちは,研究の過程においてこの両者を幾度も往復するのである。双方のいずれもが探究の足場となり,互いが互いから手がかりを得つつ,一つの研究を成就させる。臨床哲学,ケア学と呼ばれるような研究領域がこれに近いかもしれないが,本特集では,事前にこれを命名しない。むしろこの特集を通して,新たな研究領域が創造されていくことをめざしたい。
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