特集 経験を記述する 現象学と質的研究
看護学生の「患者理解」という経験に関する記述―ガダマーの解釈学を手がかりに
前川 幸子
1
1甲南女子大学看護リハビリテーション学部看護学科
キーワード:
患者理解
,
看護学実習
,
解釈学
Keyword:
患者理解
,
看護学実習
,
解釈学
pp.356-367
発行日 2012年7月15日
Published Date 2012/7/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1681100670
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I.「患者理解」という看護実践
看護学実習に臨む学生は,患者の前に立ったとき,「緊張をして,身体が思うように動かない」「頭ではわかっていても,手が出せない」といった身体の不自由さを少なからず自覚する。それは,自分とは異なる存在としての患者との出会いに,時に戸惑いながらもかかわることの意志を抱き,その人に合った看護実践を模索する,学生の経験の一端でもある。看護実践において,その中核となるのは患者の理解である。この患者理解とは,看護学実習の要であり,自らの身体をもって相手の身体の状態を把握する,あるいはわかる,そしてその上で自分が看護を実践することを意味する。
もとより看護とは,「患者が体験している援助へのニードを満たす」(Wiedenbach, 1964/外口,池田訳,1969, pp.47-59)こと,あるいは「患者自身が自己についての新しい状態をつくりだしてゆくのを助ける」(野島,1977, p.304)こととされる。それは,誰かを,または何かを「気遣う」ことによって状況の内(側)に身を置くことから始まるのであり,このことを通して看護師は,患者の健康上の問題を発見し,可能な限りの解決の手立てのもとに看護を実践する。そのため看護実践は,単なるテクニックと科学知識だけでは不十分(Benner & Wrubel, 1989/難波訳,1999, p.5)であり,他者への気遣いや,関心によって導かれると言える。
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